ページ番号 C1028216 更新日 令和5年3月31日
茅ヶ崎の地名が古文書にはじめて現れるのは今から550年程前の室町時代のことです。「那智の滝」で有名な熊野神社(和歌山県)の御師(おし)の文書に、相模国の信者として「ちかさき」の左近四郎と五郎二郎の名が見られ、他の文書にも「ちかさき(ちがさき)」が記されるようになっていきます。また、戦国時代になると後北条氏の家臣台帳ともいえる『小田原衆所領役帳』に「茅ヶ崎」と書かれています。
豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼしてからは徳川氏の支配となり、家康は関東に新しい村の制度をつくりました。この時に茅ヶ崎村が生まれ、1908(明治41)年に茅ヶ崎町に合併するまで茅ヶ崎村は存続しました。
詳しくは文化資料館ブックレット2『ちがさき村ごと歴史散歩』及び『茅ヶ崎市史』5、『茅ヶ崎市史現代』7をご覧ください。
文化資料館ブックレット2『ちがさき村ごと歴史散歩』
『茅ヶ崎市史』5
『茅ヶ崎市史現代』7
このページには添付ファイルがありますが、携帯端末ではご覧いただけません。
添付ファイルをご覧いただく場合は、パソコン版をご覧ください。
文化スポーツ部 文化推進課 市史編さん担当
電話:0467-81-7148
Copyright(c) Chigasaki City. All rights reserved.