ページ番号 C1006918 更新日 令和5年3月31日
大岡越前祭の由来において、茅ケ崎市堤にある浄見寺と大岡越前守忠相公の関係は欠かせないものとなっています。
江戸時代中期の有能な官僚であった大岡越前守忠相公を輩出した大岡家は、茅ヶ崎の堤村を領地として治めていました。2代当主忠政が初代忠勝の追善のために建立したのが、茅ヶ崎市北部にある浄見寺です。
浄見寺は大岡家代々の菩提寺で、元和元年(1615年)にこの寺に改葬された初代忠勝の墓石をはじめとして、13代まで一族累代の墓碑58基が整然と並んでいます。
5代当主である忠相公は1751年(宝暦元年)に75歳で亡くなっていますが、数々の功績に対して1912年(大正元年)従四位が贈られ、翌大正2年には忠相公の墓前で贈位祭が行われ、これが大岡越前祭の始まりとなりました。
その後、大岡越前祭は関東大震災や戦争などで中断していましたが、昭和31年に復活し、茅ヶ崎の春祭りとして墓前法要、越前行列など様々な催しが行われ、市内外を問わず親しまれています。
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